もっと知りたいヴェネツィア派の画家

ジョルジョーネ、ティツィアーノ、ティントレットと話を進めきて、ヴェネツィア派の画家の素晴らしさはお判りいただけたと思う。だが、ヴェネツィア派にはまだまだステキな人がいる。ヴェネツィア派についてもっと知りたいあなたへ・・・今回はヴェロネーゼを紹介しよう。

迫力の大画面

あなたはルーブルに行かれたことがあるだろうか。ルーブルには大きな絵がたくさん掛けられている。ルーベンスの「マリー・ド・メディシス・シリーズ」とか、ダヴィッドの「ナポレオンの戴冠式」とか・・・そんな中でも一番大きな絵がじつはヴェロネーゼの「カナの婚宴」なのだ。その大きさ、なんと666㎝×990㎝!画面には100名以上もの人物が登場するのだ。

そもそもヴェロネーゼって

そのヴェロネーゼだが、じつはあだ名である。彼はヴェネツィアの西方ヴェローナに生まれたので「パオロ・ヴェロネーゼ」(ヴェローナ生まれのパオロ)と呼ばれたのだ。本名はパオロ・カリアリ。1528年、貧しい石工の子として生まれた。地元ヴェローナで画家としての修行を積み、20代半ばで成功を夢見てヴェネツィアに出る。

貴族の愛好家

成功は訪れた・・・成功の最大の転機となったのは33歳の時に依頼された「ヴィラ・バルバロ」の装飾である。ダニエーレ・バルバロという人はヴェネツィアの名門貴族であり、大司教であった。彼の別荘が「ヴィラ・バルバロ」であり、ヴェロネーゼはその内部に「穏やかな季節の移ろい」と「平穏な家庭生活」を描いてほしいと依頼されたのだ。そう・・・だれもが人物の激しい動きや劇的な感情表現を好むわけではないのだ。特に貴族と呼ばれる人たちはそうなのだ・・・ヴェロネーゼの画風はこれらの人たちの好みにぴったりだったのだ。彼はこの仕事を一年間で成し遂げ、「ヴィラ・バルバロ」を訪れた人はその出来栄えに簡単の声を挙げた。

異端審問

以後、貴族からの注文がひきも切らぬようになり、一躍売れっ子画家となったヴェロネーゼだったが、45歳の時、思いもよらない落とし穴が待っていた。「レヴィ家の饗宴」という、いまではアカデミア美術館の白眉となっている傑作について、宗教裁判所がヴェロネーゼを喚問したのだ。もともとこの絵はドミニコ会が「最後の晩餐」として注文したのだが、キリストや12使徒など、崇高な人物とともに世俗的な人物が多く描かれていた。これがけしからん・・・というわけであった。いつの時代、どこの国にもこのような人たちがいるものだ。とはいえ・・・

この時代、宗教裁判所から「異端」の烙印を押されれば、それは即、社会的な死を意味した。ガリレオの例を思い出されるがよい。ヴェロネーゼはやむなく絵の題名を「レヴィ(のちのマタイ)家の饗宴」と改題し、難を逃れた。

栄光に包まれて

とは言いながら、彼の鮮やかな色彩、穏やかな画風とイリュージョニスムは多くの貴族に愛され、あのフェリペ2世からエル・エスコリアルの装飾を頼まれたほどであった。断ってしまったようだが・・・

晩年はあのドゥカーレ宮殿の「大評議会の間」の天井画を手掛け、栄光に包まれたまま1588年、60歳でこの世を去った。

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