ヴェロッキオ工房

今回はヴェロッキオ、とくに彼の工房についてお伝えしよう。長い美術史の中では、ときおり優れた後進を育てるのに長けた人が現れる。マティスやマルケを育てたギュスターヴ・モローのような人である。ルネサンスにもそういう人はいて優れた指導力を発揮した。アンドレア・ディ・ミケーレ・ディ・フランチェスコ・テオーニ・・・通常ヴェロッキオと呼ばれる人がそうである。

レンガ職人の子として

この時代の画家の常としていつどのようにして生まれたかははっきりしない。どうでもよかったのだ。画を描くことが単なる手仕事であると捉えられていた時代、画家はあまたいる職人のうちの一人だったのだから・・・生まれたのは1435年頃といわれている。フィレンツェのレンガ職人の子として生まれた。

彼の青年期のエピソード・・・1453年というから18歳ころのこと。羊毛職人とけんかになり、ヴェロッキオが投げつけたレンガで相手が死んでしまう。故意ではなかったということで無罪となったが、このときの過失が彼の中で罪悪感となって残り、ある意味「贖罪」として後に後進に寛大に接する姿勢を培ったのかもしれない。

フィレンツェ一の工房を率いて

ともかく、ヴェロッキオはあのドナテッロやギベルティの工房で修業して自分の工房を立ち上げ、フィレンツェでは一番の有力者であるメディチ家をパトロンにつける。彫刻だけでなく、絵画、金工、木工、版画とあらゆるジャンルをこなす。

彼の工房にはボッティチェリ、ペルジーノ、ギルランダイオ、そしてあのレオナルドがやってきて働くことになる。ちなみにペルジーノとはラファエロの師匠、ギルランダイオはミケランジェロの師匠である。すごい工房である。これに匹敵するのはのちのルーベンス工房だけであろう。

そしてあのエピソードが語られる。「キリストの洗礼」にまつわる話だ。ヨハネに洗礼を受けるキリストの足元に二人の天使が描き込まれているのだが、何分、多忙なヴェロッキオゆえ、そのうち一人をヴェロッキオが描き、もう一人を弟子のレオナルドに委ねることにした。さて、絵が出来上がってみると、自分が描いた天使よりもレオナルドが描いた天使の方がはるかに優れているではないか・・・ヴェロッキオは以後、画を描くのをやめたという。

事の真偽は確かではないが、ヴェロッキオがたとえ自分よりも目下の者であっても、優れた技量を持った者にはきちんと敬意を払ったということは確かである。ちなみにヴェロッキオとは「本当の目」という意味らしい。

彫刻家として

とにかくヴェロッキオは35歳あたりを境に彫刻に専念するようになる。それは、絵画に限界を感じたということよりも、本来彫刻を得意としていたということであろう。レオナルドがモデルといわれる「ダヴィデ」はドナテッロのものよりもすばらしい。わたしは個人的にはミケランジェロのものよりも素晴らしいと思う。そしてコッレオーニ騎馬像。たとえ、レオナルドのスフォルツァ騎馬像が素晴らしいといわれても実物がない以上、ヴェロッキオの勝ちである。実際、この像は素晴らしい・・・

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