ジョルジョーネ鑑賞のコツ

 

ルネサンス期、ヴェネツィアに現れた夭折の画家ジョルジョーネについて、その鑑賞のコツをお伝えしよう。

その生涯

ジョルジョーネとはあだ名である。この時期、画家があだ名で呼ばれることは割と普通の子であった。彼は身体が大きかったので「大きなジョルジョ」つまりジョルジョーネと呼ばれたのである。本名はジョルジョ・ダ・カステルフランコという。1476年、ヴェネツィアの近くのカステルフランコ・ヴェネトで生まれた。ミケランジェロとほぼ同年齢である。幼少期のことは知られていないが、画家になるべく、ヴェネツィアに出てジョバンニ・ベリーニの工房に入ったことは確かである。当時の徒弟制度から考えて1490年~1500年頃のことだと思われる。

ジョバンニ・ベリーニの工房はヴェネツィアの中では名門で、特に北方から油彩画の技法を取り入れて成功していた。彼の修行は着々と進んだが、レオナルド・ダ・ヴィンチがミラノで「最後の晩餐」を描き上げたあとヴェネツィアに立ち寄り、ジョルジョーネはサロンで彼と出会った。ジョルジョーネはレオナルドからスフマート(ぼかし)の技法を学ぶ。これで彼の画業は一段と前進する。

1507年、町の中心部にあるドイツ人商館に壁画を描く仕事が舞い込む。大規模なものだったようで、パートナーがいたのだが、それが何を隠そう、あのティツィアーノだったのである。1509年に壁画は完成するが、彼の描いた部分は不評だったようで、ずいぶんと落胆したらしい。

死は唐突に訪れる。1510年、ヴェネツィアにペストが流行。ジョルジョーネの恋人が罹患し、やがて彼にも伝染してしまう。享年34歳。

ユディト 

1500年~1505年頃の作。サンクトペテルブルグのエルミタージュ美術館にある。ユディトの足がなんとも艶めかしいな・・・身にまとっている衣装も、おそらくカーマインなどの透明性のある赤で彩色されているのだろうが、目に沁みるような美しさである。そしてユディトが美人である。

玉座の聖母子と聖リベラーレと聖フランチェスコ

1505年頃に生まれ故郷の有力者から依頼を受けて描いたとされる。・ヴェネトのサン・リベラーレ教会にある。とにかくこの人の描く女性像はどうしてこうもセクシーなのだろう。画面全体を支配する黄金色に聖母の赤と緑の衣装が美しい。

眠れるヴィーナス

ジョルジョーネ最晩年の作で、ティツィアーノの筆が入っている。ドレスデン美術館所蔵。

なんともセクシーなヴィーナスである。ヴィーナスの肢体に沿って左上から右下に流れる何とも豊かな諧調・・・緑、赤、黄の色どりもなんとも美しい。数ある裸婦像の中でも3本の指に入る名品である。

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