ジェリコーのイチオシ作品

ジェリコーといえば「メデューズ号のいかだ」というのがお定まりだが、どっこい、ジェリコーにはほかにも良いものがある。わたしのイチオシ作品を紹介しておこう。

メデューズ号のいかだの習作

「メデューズ号のいかだ」の他にも・・・と言っておきながら恐縮だが、じつはメデューズ号のいかだのために行われた習作群がいくつか残されており、それがとても良いので紹介しておく。上の絵は絵全体を決めるための習作だが、これ以外に近くの病院から譲り受けてきた人の手足や生首など、人体が腐乱していく様子を描きとめるための習作もある。それらを見ると、ジェリコーが「メデューズ号のいかだ」をはじめはどんな風にしたかったのかが分かる。水も食料もない過酷な環境下で人が死に、時には殺し合い、果ては遺体を貪るような悲惨な現実をそのままリアルに描きたかったのだろう。だが、やはりジェリコーは画家だった。完成作ではそれらはみな「絵」になってしまっている。もしかしたら、これは19世紀初頭を生きたジェリコーの限界だったのかもしれない。

殺人狂

1822年.へント美術館所蔵。この筆さばき・・・すばらしい。じつに生き生きとしている。この男が殺した人々・・・その血糊、断末魔の叫びがこのタッチからよみがえるようだ。そしてなによりこの男のまなざし・・・ジェリコーという人の功績は「ロマン派の旗手」などと言われてドラクロアの先輩格のように語られることが多いのだが、わたしとしては「リアル」ということを挙げてみたい。それも単に目に映じたものをリアルに描くということではなく、人間や社会というもののどこにリアルを見出すかということにおいて、その表現方法と相まって先鞭をつけた人なのではないかと思う。

狂女

これも1822年~23年にかけての作。こちらはルーブル美術館像。じつに達者なタッチである。レンブラントの若いころなどよりもはるかにうまいと思う。この絵などを見ると、ジェリコーは自分が32歳で死ぬことを分かっていたような気がしてくる。こういう人はたまに出てくる。日本人でいえば青木繁や、ジャンルは違うが正岡子規などはそういう人であった。彼らが若くしてできてしまうことは、ひょっとしたら彼らの人生が短いことを知っている神による采配なのかもしれない。

死の直前、ベッドで描いた自分の左手

1824年.ルーブル美術館所蔵。今わの際でジェリコーは「まだ何もしていない」と叫んだという。本心だったのであろう。この手には力がみなぎっている。これから何かを成し遂げようとしている手だ。確固とした意志を感じさせる手である。これが本当にこれから死んでいく人の手なのだろうか。

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