まだまだいるドイツのスゴイ画家―グリューネヴァルト

 

ドイツとは奥の深い国である。まだまだ知らないところに素適な画家がいる。その一人、グリューネヴァルトについて今回はお伝えしよう。

名前

まずはその名前から。グリューネヴァルトGruenewaldとはドイツ語で緑の森という意味である。なんとも素敵な名前で、いささか出来すぎているようにも思えるが、やはり本名ではなかった。本名はマティス・ゴートハルト・ナイトハルトという。グリューネヴァルトは後世のドイツ人が勝手に作ってつけた名前らしい。

出身

グリューネヴァルトの出身はヴュルツブルグ。フランクフルトとニュルンベルグの間にある。日本人にはロマンティック街道で有名なところだが、美術史的にはそれよりも、高名な彫刻家リーメンシュナイダーの活躍した町として有名である。リーメンシュナイダーについてはまた別のところで述べるが、グリューネヴァルトの生年は1470年~80年とされているので、リーメンシュナイダーは彼よりも10歳~20歳くらい年長だったということになる。二人がこの町で出会っていることは十分に考えられる。

作品

グリューネヴァルトの作品としては「イーゼンハイムの祭壇画」を挙げるしかない。イーゼンハイムの祭壇画は、ところがドイツではなくフランス、アルザス地方のコルマールというところにある。フランス領とはいえ、アルザスの住民はドイツ系の人が多く、言語的にもドイツに近いようだ。そのコルマールの南西20㎞のところにイーゼンハイム村があり、聖アントニウス会修道院の聖堂に飾られていたのがこの祭壇画である。

1793年、フランス革命の混乱期にコルマールのウンターリンデン美術館に運ばれ、現在に至る。ちなみにこのウンターリンデンとはやはりドイツ語で「菩提樹の下」という意味である。同名の有名な通りがベルリンにあって森鴎外の「舞姫」にも登場する。

アントニウス熱病

聖アントニウス会修道院は1512年、当時流行した壊疽性丹毒、別名アントニウス熱の平癒を祈ってグリューネヴァルトにこの祭壇画を依頼した。この病がどのようなものであったか、詳しく知りたい方は中野京子氏の「怖い絵」を読まれるとよい。だが、わたしはそれよりも、このイーゼンハイム祭壇画、第1面中央パネルのキリストをご覧になれば想像がつくのではないかと思う。

ちなみにこのイーゼンハイムの祭壇画は平日と祝祭日とで見られる場面が変わるようになっている。キリストの磔刑があるのは平日面で、日曜・休日面には受胎告知やキリストの降臨、キリストの復活などが描かれている。なんとも鮮やかで神秘的な絵柄で、わたしはこれを見て後世のウィリアム・ブレイクを思い浮かべる。

   謎

じつはグリューネヴァルトは謎に包まれた画家であり、詳しいことはわかっていない。マインツ大司教に仕え、キリストの磔刑図を得意としたらしいが、折からの宗教改革で農民戦争に加担し、宮廷画家を首になってしまった。1525年、死の3年前のことであった。

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