デューラー鑑賞のコツ

ドイツの画家 アルブレヒト・デューラー について、鑑賞のコツをお伝えしよう。まずはその生い立ちと人となりについて語り、そのあとどのような作品があるかをお伝えする。今回はまず、その生涯から。

ドイツーニュルンベルグ

アルブレヒト・デューラー。アルファベットではAlbrecht Dürerと綴り、これは現在でも立派に通じる真正のドイツ名である。美術史を普通に学んでいれば、最初に出くわすドイツ人である。

彼は1471年、ニュルンベルグで金細工師の子として生まれた。ニュルンベルグと言えば・・・そう、450年後にあのヒトラーがこの地で旗揚げすることになる。 デューラー は早熟な少年だったようで13歳で描かれた自画像が残っている。15歳で画家ミヒャエル・ヴォルゲムートに弟子入りし、3年間修業。その後は当時の職人の常として「遍歴の旅」に出る。23歳で銅細工師の娘アグネスと結婚。アグネスの素描も残されており、「Mein Agnes(わたしのアグネス)」という描き込みがある。

イタリア

結婚したのもつかの間、イタリアへ旅行。帰国後、自身の工房を開く。ここで彼は木版画による15枚セットの「ヨハネの黙示録」を制作する。これが当たって彼はヨーロッパ中に名を知られるようになる。ザクセン候フリードリヒの知遇も得て以後、その庇護を受けるようになる。ザクセン候フリードリヒ・・・この名前をどこかで聞いたことのある方はいないだろうか・・・そう、あのマルティン・ルターを庇護したのはこの人である。ちなみにルターは1483年生まれ。デューラーの12歳年下である。彼による宗教改革が始まるのは20年後のことである。

名声は手にしたものの、イタリアへの思いはやまず、1505年、ふたたびデューラーはアルプスを越える。今を時めくベリーニやレオナルドについて知り、人体比例や色彩についての研究を深めていく。

大家として

1年半後に帰国した彼は大作を次々と手がけていく。1512年にはなんと時の神聖ローマ皇帝マクシミリアン一世に知遇を得て100フローリンの年金を受け取ることになった。これは現在でいえば1200万円ほどになり、破格の扱いといえるのだが、マクシミリアン一世は1519年に他界してしまい、この年金は途絶えることになってしまう。なんとかこの年金を復活させるべく、新皇帝カール五世に謁見しようと赴いたネーデルランドで彼は熱病に侵されてしまう。

病魔を得て彼は死期を悟ったのだろうか。代表作ともいえる「4人の使徒」を描いてニュルンベルグ市参事会に寄贈する。この絵の下部には「世の統治者たちは、この危険な時代にこそ、信仰を誘惑に売り渡してはならない。画面の聖人たちの警告に耳を傾けよ」という意味深な言葉が添えられている。また、イタリアで得た遠近法や都市計画に関する知識を後世の人間に残すべく相次いで著作を出版する。

1528年、56歳の若さでニュルンベルグで没。

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