本物を見分ける方法

再び真贋について述べる。今回は本物を見分ける方法について。

我が独和珈琲絵画館では真贋よりも、その作品から何を得られるか、見る者がその作品にどんな価値をおくのかの方をより大きな問題とした。

ところが、自由に絵を楽しむことができる人がいる一方で、真贋の見極めが即、収入の多寡に直結するひとたちがいる。ある意味、不幸な人たちと言えるかもしれないこうした人たちもまた、真摯に作品と向き合っているわけで、こうした人たち向けにわたしなりの真贋の見極め方を語っておこう。

作品の鮮度

作品の鮮度―この言葉を使っていたのは、わたしに絵を教えてくれた鈴木先生である。鮮度とは文字通り、その作品がどれだけ新鮮かということである。

およそ作品―絵画であれ彫刻であれーというものは作品化する対象がある。たとえば、以前話題にした斉白石は海老の絵を多く描いたが、この場合、海老そのものが対象なのである。

その対象からある感銘を受けて画は描かれるわけである。それは感動とか、インスピレーションとか、霊感とか言われるものである。そうした感銘を受けてから、作品が作られるまでの時間について「鮮度」という言葉が使われるわけだ。

鮮度の悪い作品とは

当然、鮮度の一番良いものとは、感銘を受けてから最初に描かれた絵である。ところが、何かの理由で2枚目、3枚目を描く場合もある。

たとえば一枚目の作品が気に入らなくて2枚目、3枚目を描く場合である。ただしこの場合はまだ救いようはある。描く人が感銘を保持している―すなわち鮮度が良い間に行われることが多いからである。問題は鮮度が落ちるような場合である。

よくあるのが、1枚目に良いものが描けたため、2枚目、3枚目も「同じように」良いものを描こうとすることである。この場合、最初の感銘を忘れ、1枚目の成功体験にばかり目が行っているため、たいてい失敗する。鮮度が悪いからである。

贋作の鮮度

さらにもう一つ、鮮度を落とす典型的なパターンがある。それが模倣―写すことであり、贋作なのである。そもそも対象を見ていたのは真作を描いた人なのであるから、その真作を贋作に写していく過程で、対象から受けた感銘はどんどん薄まっていく。つまり鮮度はどんどん落ちていくわけだ。

さあ、わたしたちは贋作の見分け方に再び戻ってきた。ある作品が真作か贋作かを見分けるには、それが1枚目に描かれたものかどうか、対象から受けた感銘がまだ強烈に残っているかどうかを見ればよい。つまり、鮮度が良いかどうかを見れば良いである。

とはいえ、これには鑑定者自身が普段から制作体験を積んでおく必要があるし、また、真作を描いた作者自身の中にも鮮度の良いもの、悪いものが混在するのが普通なので、言うほど簡単ではない。鑑定の第一段階―最初の「ふるい」に用いるのがよかろうとわたしは思う。

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