ファン・アイク鑑賞のコツ

油彩技法を確立し、北方ルネサンスの雄となったファン・アイク・・・その作品を鑑賞するコツをお伝えしよう。

ファン・アイクの生涯について

ヤン・ファン・アイクは、現在のオランダ南部とベルギーの国境付近、リンブルク地方に生まれた。1390年頃のことだという。この頃はフランドルといって、フランスのヴァロワ家から分かれたブルゴーニュ家の領地であった。ヨーロッパの国境線は王族の婚姻や遺産相続のたびに引かれ直すので非常にややこしい・・・ただ、ヤン・ファン・アイクの座右の銘「Als Ich kann」(己の能う限り)はドイツ語である。リンブルク地方の言語はドイツ語の方言だといわれているので、民族的には彼はドイツ系なのであろう。

1425年というから30も半ばを超えたころにブルゴーニュ公フィリップの宮廷画家となった。ただし、これは侍従の職も兼ねていたようで、主君の命を受けてスペインやポルトガルに外交活動に出かけることになる。この辺りはルーベンスやベラスケスと似ているな・・・写真のないこの時代、画家は記録係として重要な役割を担っていた。

忙しい合間を縫って「ゲントの祭壇画」を完成させる。これは兄フーベルトが聖バーフ大聖堂の礼拝堂を飾るべく注文を受けて制作していたものであったが、フーベルトは志半ばで急逝してしまったのだった。縦3.5メートル、横4.6メートルの大作を完成させたとき、ヤンは42歳になっていた。

この頃、なんと15歳も年下のマルガレーテと結婚。ブルージュに住み、子供にも恵まれた。ここからの10年間が彼の円熟期であって、現在知られている肖像画や聖母子の名品はこのころに手掛けられた。そして惜しくも1441年、なんと51歳ので、若さでこの世を去る。

油彩技法について

絵の具は色味のもとである顔料と、それを固める展色剤で成り立っている。日本画は顔料を膠で固め、テンペラ画は卵、水彩画はアラビアガムを用いる。油絵具には乾性油が使われる。

一説にいわれるように、ファン・アイクが一から油彩技法を作ったとするのには無理がある。ヨーロッパにはそれまでにニス絵というものが存在していた。現在でも木工製品に使われるニスを見るとマホガニーやらメープルやらウォールナットといった色付きのものが出回っている。ニスが下地の発色を鮮やかにし、堅牢な被膜を作ることから、ニスに顔料を溶いて絵を描くという発想は早くからあったのだ。

とはいえ、乾性油に亜麻仁油(リンシードオイル)を使うアイデア、顔料を薄く説いて何層にも塗り重ねるグラッシの技法など、絵画技法として確立するには様々な試行錯誤があったはずで、やはりファン・アイクは偉大だといわねばなるまい。

また、渇きの遅い乾性油の使用なくして「ゲントの祭壇画」に見られるような緻密な描写はあり得なかったはずで、「ゲントの祭壇画」が完成した1432年をもって油彩技法の確立といっても言い過ぎではないだろう。

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