北斎展を見るコツ

六本木にある森アーツセンターギャラリーで開かれている「新・北斎展」を見るコツをお伝えしよう。その一。まずは、北斎がどんな人だったのか。その二。では作品にどんなものがあるのか。

何を言っているのだ。そんなことなら展覧会場に直接行けばいいじゃないか。という声が聞こえてきそうだ。だが、森アーツセンターギャラリーはいつも混んでいて、壁面の解説や作品をじっとは見ていられないし、第一、浮世絵というものは作品自体が小さいので、大勢で鑑賞するのには無理があるのだ。

そこで予習が必要になる。というわけで今回は北斎のひととなりについて。

長寿の人

まず、北斎という人はとてつもなく長寿の人であった。1760年生まれの1849年没であるから、なんと90歳近くまで生きたことになる。江戸期の庶民の平均寿命が30~40歳であったことを思えば化け物のような人である。

化け物と言ったが、かれのバイタリティーはまさに化け物であった。北斎は名古屋にある西掛院というところで大勢の見物人が見守る中、120畳の紙に大達磨を描いたというが、それが1817年、北斎57歳の時であった。「富嶽三十六景」を出版したのは1831年、71歳の時である。ちょっと考えてみればわかることだが、富士山の周りを36か所の絶景を求めて歩き回るということはかなりの脚力を要することだ。現代でいうならさしずめ、三浦雄一郎さんというところか・・・

彼は臨終の折、居並ぶ門人たちにこう言い残したと伝えられている。

「もう十年、いや、せめて5年生き永らえられたら本当の絵を描いて見せる・・・」

千変万化の人

自らのスタイルに固執することなく、新しいものを次々と生み出しては変えていくという、さしずめ20世紀ヨーロッパならばピカソのようなひとが北斎であった。ただ、ピカソを見る限り、大きなスタイルの変化があったのはせいぜい50代の半ば頃までであって、晩年の40年近くにさして見るべき変化はない。

北斎の場合は70年に及ぶ画業のすべてにそれが及んでいた。名前を生涯に30回も変えたことがそれを物語っている。画家にとって、名前は商標、つまりブランドなのであり、これを変えることにはかなりの意志を要することなのだ。だからピカソもあれだけスタイルを変えたにもかかわらず、サインは変えなかったではないか。ちなみに「北斎」を用いたのは39歳から56歳までの間であった。そして、北斎は名前だけではなく住処も変えたことで有名で、なんと93回にも及んだという。

在野の人

北斎は本所割下水といういわゆる東京の下町に生まれた人で、売れなかった頃には七味唐辛子を売り歩いたこともあった。勝川派の浮世絵師としてデビューした後は、曲亭馬琴と組んで読本の挿絵を描いたり春画を描いたこともあった。役者絵、博物画、奇想画、風景画と、当時の出版業の隆盛とともに様々なジャンルで活躍した。だが、ついに北斎は御用絵師とはならず、浅草のボロ長屋で死去した。徹底して在野の人だったのである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です