シャガールをめぐる物語

シャガールについて物語しよう。かれの生涯を読み解くキーワードは「ヴィテブスク」「ベラ」そして「戦争」である。

ヴィテブスク

マルク・シャガールは1887年、ロシアのヴィテブスクというところに生まれた。ピカソより6歳年下である。だが、美術教師を父親に持ったピカソと違って、シャガールの父親はニシン倉庫で働く貧しい労働者であった。そして、なにより彼の両親はユダヤ人であった。現在ベラルーシとなっているこの地域で暮らすユダヤ人が50年後、悲惨な運命をたどることになるとはマルク少年は知る由もない。町のヴァイオリン弾きやユダヤ教会、聖歌隊・・・この独特のにおいを持った地での経験なくしてシャガールは語れないであろう。後年、彼の作品に登場するモチーフの多くはヴィテブスクのものである。

マルクは絵を描くのが大好きな少年だった。1906年というから、パリではピカソの作品をアメリカ人のコレクターが集めだしたころ、マルクは19歳にして地元の画家ペンの画塾で絵画修業を始める。翌年にはサンクトペテルブルグへ出て王立美術学校に入学するも、すぐに退学。入りなおした舞台美術家バクストの学校で彼の運命は大きく動き出す。バクストによって彼はパリで今何が起こっているかを知ることになるのだ。

ベラ

22歳の時、彼は8歳年下のベラ・ローゼンフェルトと出会う。8歳である。つまりは14歳ということである。今なら大学4年生の青年が中学2年生の女の子と付き合うようなものだ。このあたりの感覚はわれわれ日本人には分からないが、たとえばトルストイなどは悪名高いソフィア婦人にプロポーズしたときにはトルストイ34歳、ソフィア18歳であった。とはいえ、ベラについては何枚かの写真が残っているし、シャガール自身も絵に描いているのでうかがい知ることができるのだが、瞳の印象的ななかなかの美人だったといえよう。ちなみにピカソと違って、シャガールは1944年、ベラが亡くなるまで36年間の愛を全うする。

戦争 

1910年、シャガールは夢にまで見たパリに出る。『ラ・リュッシュ』―フランス語で蜂の巣という名前の共同アトリエでエコール・ド・パリの仲間とともに制作にいそしむようになる。当時一世を風靡していたフォービズムやキュービズムを貪欲に吸収。サロン・ドートンヌやアンデパンダン展で名を挙げるようになる。

だが、やがて第一次大戦が勃発。続いてロシア革命がおこり、社会は混乱を極める。美術への思い、断ちがたいシャガールはロシアを逃れてフランスへ亡命。パリではあの画商ヴォラールがが契約を結んでくれ、シュールレアリストたちとの交遊もあって彼の評価は徐々に上がっていく・・・

ところが、ドイツでナチスが政権を奪取。第二次世界大戦が始まると、ユダヤ人迫害は隣国フランスにも及ぶようになり、ついにシャガールはアメリカへ亡命を余儀なくされる。

アメリカの地で彼は最愛の妻ベラをなくす・・・パリは解放されてはいたものの、傷心の彼はアメリカにとどまる。やがて第二次大戦が終わり、彼はフランスへ戻る。晩年は南仏の地で暮らす。享年97歳。

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