もっと知りたいヴィンセントーじつはスゴイ、ゴッホの初期作品

ゴッホをもっと知りたい方に・・・ゴッホは、その技法から、アカデミックな絵画教育を受けていないと思われがちであるが、初期作品を見ていくとそんなことはなくて、じつはオーソドックスな画技においても相当器用なところを見せている。(ゴッホはその生涯から不器用であるとのイメージが強いが、どうしてどうして、画技においてはかなり器用である)そして、それどころか、ゴッホの画家としてのすべての活動期間を考えても、この初期作品には優れモノが多い。

今回はそうした初期のゴッホ作品の中から、わたしのイチオシを3点紹介する。

開いてある聖書(1885年 ゴッホ美術館)

オーソドックスに「上手い」と思う前に、なによりものすごく新鮮だった。初めてこの絵を見たときのことをわたしは忘れないだろう・・・

古くなって、いささか黄色味がかった聖書。ずっしりと重たい・・・そこにはびっしりと文字が書き込んである。わたしたちが良く知っている聖書だ。それがこんなセピアとオーカーとシェンナーの荒々しい筆のタッチになってしまうなんて・・・でも、この絵を見たあとでは、もう聖書というものはこんな風に荒々しい筆のタッチの集合としてしか見えてこないであろう。そう、絵というものはそういうものなのだ・・・スゴイ絵だ。

黄色い麦藁帽子のある静物(1881年 クレラ―=ミュラー美術館)

1853年生まれのゴッホは1880年、27歳にして画家になる決心をし、アントン・モーヴという画家の下で一年ほど絵画修業に打ち込む。そう、ゴッホは全くの独学ではない。彼にはアカデミックな教育を受けた期間があるのだ。

一年と聞いて、普通の人は短いと思うかもしれないが、美術大学を目指して受験勉強したことのある方なら経験的にお分かりだろう。高校3年生の7月まで運動系の部活動に打ち込んでいた者が、夏からデッサンを始めて3月に芸大に受かったという話はたまに耳にするのだ。熱心に打ち込むなら一年で十分なのだ。なによりこの作品がそのことを十分に語っている。

見ていて気持ちのいい絵である。じつに素直に、対象に即して描いている。帽子や壺の色味といい、筆のタッチといい、すべて画面の中の事物にぴたーっと付いている。ゴッホ印はないけれども、ゴッホのにおいはきちんとついている。上品な絵である。

ヌエネンの教会を出る人々(1884年 ゴッホ美術館)

画家モーヴのもとを1年ほどで去ったのち、1886年にパリに出るまで、ゴッホはアムステルダムやアントワープを訪れ、オランダの巨匠たちの作品に触れる機会を得た。

この絵を見ると、ゴッホはそれらの先達から十分な栄養を得たようである。教会のわきにあって上方に延びる木立の筆さばき・・・建物から出てくる人々はたっぷりした油で溶いた絵の具でリズミカルに、じつに生き生きと描き表されている。なによりわたしはこの色味が好きだ。オランダの文化に根差した、このオーレオリンやセピア、ブラウンなどはさながらチェダーチーズの味わいである。美味しい絵である。

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