ドラクロワ解釈―新しいドラクロワの見方

 

ドラクロワを独自に解釈してみる。ほかの誰も言っていないようなことだが、あるいは新しいドラクロワの見方になるのではないだろうか。

自分の目で見るのがこの独和珈琲絵画館の眼目なのであるから、専門家はなんというか知らないが、思い切って述べてみたい。

その生涯

ウージェーヌ・ドラクロワは1798年、パリの上流家庭に生まれるが、じつは彼は不義の子であって、本当の父は有力政治家タレーランであったという。学業は優秀で、音楽、文学にも才能を見せていたという。

18歳で画家を志し、国立美術学校へ入る。やがてジェリコーを知るようになり、あの「メデューズ号のいかだ」でモデルを務めたといわれている。ジェリコー亡き後は「ロマン派」の旗手として次々と問題作を発表して物議を醸す。

とはいえ、40代に入るころから公共の壁画制作などの依頼が舞い込むようになり、晩年にはアカデミーの会員にも抜擢されて、画家としては幸福な人生を送ったといえる。

ひととなり

さて、そのひととなりであるが、伝記の上では、彼は10代の頃から人並みに恋をし、中年を過ぎてからはメイドを身ごもらせるなど、生物学的には男性の機能はあったようだ。だが、どうも彼の絵を見ていると、メンタル的には男性への志向があったように思えてならない。その根拠となる絵を三つ上げよう。

墓地のみなしご

1823年、ルーブル美術館。ジャニーズにでもいそうなタイプである。この絵に描かれているのは少女であるが、わたしは初めて図版で見たときから間違いなく少年、もしくは青年だと思っている。ドラクロワは絶対男を想定しているな・・・そして、このモデルはなんとセクシーな表情を浮かべているのであろう・・・

キオス島の虐殺

1824年、同じくルーブル美術館所蔵の作品である。トルコ軍に凌辱される婦人、虚空を見つめる老婆とともに、目が離せないのは全裸で横たわる髭の男性である。トルコ軍に痛めつけられ、瀕死の状態・・・という設定なのだろうが、それにしてはそのしなやかな筋肉、褐色の肌、そして顔にうっすら浮かべた笑み・・・なんとダンディなオジサマなのであろうか・・・

民衆を導く自由の女神

1830年作のこの絵は、もはやルーブルの白眉といってよいであろう。この絵については女神のデッサンが残されている。初期の構想では、女神は完全に女性であったのだが、タブローにあらわされた女神の横顔はひどく男性ぽく見える。わたしはミケランジェロのシスティナ礼拝堂天井画に登場する男性像を思い出した。豊満な胸はあえて、女性だということを説明せんがために描いたのではないかと私は推測する。また、女神の左手下に横たわっている男性は、下半身がはだけている。女神の方向にしなやかに伸びる足は何ともエロティックである。

以上から、わたしはドラクロワが、オスカー・ワイルドやD・H・ロレンスのような男性志向の持ち主であったと想像する。

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