印象派から考えるベラスケス

 

ディエゴ・ベラスケスは印象派―特にマネとモネの作品を見たあとで考えると実に興味深い画家である。ベラスケスがピンとこない人のために・・・今回はまずベラスケスがどんな人だったかをざっと振り返り、マネ、そしてモネの作品を取掛かりにしながら彼の作品を見ていくことにする。

どんな人だったか

ディエゴ・ベラスケスは1599年、スペインはアンダルシア地方のセビーリャという港町で生まれた。11歳で地元の画家に弟子入りし、6年間の修行を経て一本立ちする。24歳の時、同郷の有力者の推薦で時の国王フェリペ4世の肖像画を描き、その際を認められて宮廷画家となる。

29歳の時、今を時めくルーベンスがスペインにやってきて彼と親交を結ぶ。翌年、ルーベンスの勧めでイタリアを訪れ、ミケランジェロやラファエロ、古代ローマ彫刻などを研究した。依頼、順調にキャリアを積み重ね、49歳で2度目のイタリア滞在。最晩年には最高傑作といわれる「ラス・メニーナス」を制作。人もうらやむような栄達ぶりであったが、宮仕えには何かと気苦労も多かったと見えて、61歳の時、過労で死去してしまった。

マネ

さて、肝心のベラスケスの作品だが、ミシェル・フーコーが「言葉と物」の冒頭で考証を行ったこともあって、「ラス・メニーナス」をほめたたえる人が圧倒的に多いのだが、わたしはこれには今一つピンとこない。

それよりも、「プレダの開城(槍)」であろう。200年後にマネが描いた「サン・ラザール駅」(1873年 ワシントン・ナショナルギャラリー)は間違いなくこの絵の影響を受けていると思う。マネが描いた鉄柵の垂直線は、汽車の吐き出す煙や母娘のバラ色の肌と好対照をなして実に美しいのだが、じつはこの鉄柵、ベラスケスが描いたところのスペイン軍の槍部隊が作り出す垂直線のそれである。そういえば、戦闘が終わった後のプレダも煙に包まれている・・・

モネ

次にモネだが、スイスにあるビュールレコレクションが「ヴュトゥイユ近郊のヒナゲシ畑」(1879年)という絵を持っている。画中の4人の人物はのちに妻となるシュザンヌとその娘たちであろうか・・・それはともかく、一面に咲くヒナゲシの表現が素晴らしい。ヒナゲシの花、一凛一凛が浮かび上がって私たちの目に飛び込んでくるようである。

とても斬新な表現である・・・が、どこかで見た表現のような気がする・・・そう、ベラスケスである。「3歳の王女マルガリータ」(1654年 ウィーン 美術史美術館)や「王女マルガリータ」(1660年 マドリード プラド美術館)を見られよ。王女マルガリータのドレスの質感を表現するため、意識的にか無意識的にか、ベラスケスは200年後に印象派の画家たちが見つけ出した「絵の具をできるだけ混ぜないで並置する」技法にたどり着いていたのだ。じつにベラスケス、死の前年の偉業である。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です