ラファエロについて考える

 

 ラファエロについて考える。彼は時代の寵児であった。彼が今生きていたらどう思われたであろうか・・・マスコミはこぞって彼を称え、反対に浮かばれぬ者たちは彼をこき下ろすのであろう。かれの幸運と成功について考えると同時に、そうしたことを差し置いてもなお光り輝くかれの作品群についても改めて見ていきたい。

ラファエロの幸運

ラファエロは幸せな人だった。かれは1483年、中部イタリアの小都市ウルビーノに生まれるわけだが、ここで彼が師事したのがペルジーノといって、あのピエロ・デ・ラ・フランチェスカに薫陶を受けた人物である。フィレンツェにも工房を構えており、ローマからはシスティナ礼拝堂の壁画装飾の依頼も受けた。いわば「売れっ子」であり、彼はここでセルフマネージメントの何たるかを学んだに違いない。

第2の幸運は彼が21歳でフィレンツェに移り住んだ時に、なんとレオナルドとミケランジェロが作を競っていたことである。さしずめ、王、長嶋のいるときに巨人に入団するようなものである。彼は2人の巨匠から、そのスゴイところを存分に吸収したのだ。

三つ目。ウルビーノ公の姉の推薦でローマに赴き、そこで最高権力者、教皇ユリウス2世に大抜擢され、なんとヴァティカン宮、署名の間の壁画を任されることになったのだ。この時若干25歳・・・

つまり、彼はよい師に恵まれて基礎を身に着けたのち、最適なタイミングで巨大な人物2人に刺激を受け、準備が整ったところで大きな仕事が舞い込むという、まさに絵に描いたようなサクセスストーリーを歩んだわけだ。

彼のもとには制作依頼がひっきりなしに舞い込み、工房では多くの弟子が立ち働き、女性関係も華やかだったという・・・

幸運だけではないラファエロの真骨頂

わたしのようなものから見れば、ラファエロは本当にうらやましく、そして嫌な奴である。とはいえ、そうしたことからいったん離れ、改めて彼の作品を見てみると、看過できないものがいくつかある。

まずピッティ美術館所蔵の「グランドゥカの聖母」。この人の描く女性はこの世の人とは思えないな・・・抱いているイエスともども、重力など、そこに存在しないかのような画面である。

そしてウィーン美術史美術館の「牧場の聖母」、ルーブル美術館の「美しき女庭師」・・・この、ぴんと張り詰めた高貴さはいったいどこから来るのであろう。ラファエロはひっきりなしに女性をとっかえひっかえしていたというが、少なくとも別紙はしていなかったようだな・・・むしろ崇めていたようにも思える・・・

極めつけはやはりピッティ美術館の「椅子の聖母」。色彩といい、画面の構成といい、マリアの美しさといい、これほどすべてがピタッと収まった絵を、わたしはほかに知らない。この絵を毎日眺められるピッティ美術館の学芸員は幸せである。

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