作品から考える人間「ミケランジェロ」

ミケランジェロはどんな人間だったのか。ヴァザーリをはじめ、ミケランジェロについてはミケランジェロの生前から、いろいろなことが語られてきた。

我が独和珈琲絵画館は自分の目で見ることを信条としているので、それらの言に惑わされず、あくまで作品を見、そこから想像できる彼の人となりを考えてみたい。

性的嗜好について

ミケランジェロは同性愛者であったとよく言われる。彼が生涯、独身を通したこと、また、彼の作品には男性の裸体が多く登場することからそういわれるのであろう。だが、果たしてそうであろうか。具体的に作品を見てみよう・・・

まず、システィナ礼拝堂の天井画「楽園追放」の場面を見てみよう。蛇からリンゴの実を受け取るイブはアダムの開いた両足の前に座っているのだが、今でこそイブは蛇の方を振り返っているのだが、本来の位置に顔を戻したらどうなるであろう。アダムの局部が眼前に来ることになるのである。

つぎに、ルーブル美術館所蔵の「奴隷」であるが、これは捕らわれの身である奴隷が、その緊縛から逃れようと身をよじっているのだということになっている。だがこれも、奴隷の身体が描き出す優雅な曲線と奴隷の恍惚とした表情から、むしろ女性がエクスタシーを感じているように見えてしまう。

そして、フィレンツェ、ヴォナルローティ館にある「十字架」。彼にしては珍しい彩色木彫作品であるが、これをパッと見て、「ミケランジェロが憧れていた肉体を表現した」と思う人間がどれだけいるであろうか。わたしはむしろ、ミケランジェロ自身の姿をキリスト像に託したように見える。すなわち、全裸の自分を人に見てほしいという欲望の発露に思える。

以上から、わたしはミケランジェロはいささか倒錯の気味はあるものの、女性への志向は十分に持っていた人だったと思う。

身体について

「ミケランジェロは大きな人ではなかったみたいだけど、一回ノミをふるうと1㎏の大理石が吹っ飛んだというね」

これは、わたしが高校生の頃、美術の先生が話してくれたことで、残念ながら、今その出典を確認はできない。それで、作品から推測してみよう。

フィレンツェのアカデミア美術館に行って驚くのは「ダヴィデ」像の大きさである。いったいに、体の小さな人は大きなものを作りたがる。ピカソもそうだが、わたしが美術の世界を通じて知り合った人たちの中でもバカでかいものを作るのはたいてい小柄な人であった。体の大きな人は逆に、笑ってしまうほど小さな、たなごころに乗るようなものを作るのだ。

ユリウス2世の廟のために大理石を切り出しに行ったとき、彼は一山丸ごと彫刻してしまおうということを大真面目に考え、口にしたらしい。

システィナ礼拝堂をほぼ、独力で描き上げた精力を考え併せても、彼は間違いなく、小柄な、だが筋肉質の人間だったのではないだろうか。

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