もっと知りたい!画家の名前について

 

画家の名前について不思議に思われたことはないだろうか。ある程度、美術作品を鑑賞し、すきな画家が出てくれば、その画家についてもっと知りたいと思うのは自然なことである。

そこで、たとえばラファエロという画家が出てくる。正式名称はラファエロ・サンティという。・・・ん?ここで皆さんは不思議に思われないだろうか。なぜラファエロは苗字ではなく名前で呼ばれているのだろうか。

ファーストネームで呼ばれる多くの画家たち

ラファエロだけではない。ジオットはアンブロジオット・ディ・ボンドーネという立派な名前があるのにジオット、トンマーソ・ディ・ジョバンニはマサッチオ、トンマーソ・ディ・クリストーフォロはマソリーノ、ティツィアーノ・ヴェッチェリオ・ディ・カドーレはティツィアーノ、ミケランジェロは一生懸命、自分は貴族の家系でブォナルローティだと主張しているが結局はミケランジェロ。レオナルド・ダ・ヴィンチのダ・ヴィンチは村の名前であるし、エル・グレコにいたっては、スペイン語で「ギリシア人」を意味する単なるあだ名なのである。どうしてこんなことになったのか。

ちゃんと氏名で呼ばれる画家もいる

一説には、当時の職業としての画家の地位の低さがある。たしかに当時の画家はものごころつく頃に徒弟となり、パネルを磨いたり、絵の具を練ったりしながら、合間を見て石板にデッサンを繰り返し、十年以上にも及ぶ長い下積みの末に一人前の親方になるという、いわばコテコテの職人さんなのだ。学校に通ってラテン語や神学を修めたりするインテリとは違うわけだ。

しかしながら、当時でもきちんと氏名で呼ばれている画家もいるのだ。たとえばサンドロ・ボッティチェリはボッティチェリ。ピエロ・デルラ・フランチェスカはそのまんま。ヤン・ファン・アイクはファン・アイク。ピーター・ブリューゲルはブリューゲル、ジョルジュ・ヴァザーリはヴァザーリというように・・・

これはいったい何なのか。

  画家と美術愛好家との距離感の問題

わたしの仮説を述べておこう。日本でも作者を名前だけで呼ぶことは多く見られる。たとえば千利休のもとで黒楽茶碗や赤楽茶碗を生み出した名工は「長次郎」である。(のちに楽という姓を賜ったが)宇治平等院の阿弥陀如来を彫ったのは「定朝」という仏師だ。美人絵で一世を風靡した浮世絵師は、喜多川という屋号はあるものの、通常「歌麿」と呼ばれる。それだけではない。「ズンドコ節」でシルバー層に絶大な人気を誇る歌手はファンからは「キヨシ」と呼ばれるのである。

つまり、愛好家が金銭を出してその制作物を愛玩することができるものには、親しみを込めてファーストネームで名指して取り引きするわけだが、それが崇高な芸術にまで行ってしまうと、改まってファミリーネームをつけるわけだ。制作者に尊敬の念は抱くが、距離としてはちょっと「置いた」ものにならざるを得ないのである。

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