ムンクを見るコツ

   絵を見るコツ

絵画を見るのにコツなどという言い方をするのはナンセンスだという方もおられるであろう。その通りである。なんのとっかかりも、誰からのアドヴァイスも必要とせず、いきなり絵画の中に飛び込んでいければ、それが一番幸せであろう。だが・・・

それが難しいことがあるのだ。近現代、とくに後期印象派以降の画家の作品には、その前で途方に暮れてしまうものも少なくはない。私も10代の頃を振り返ってみると、マティスに始まり、ニコラ・ド・スタール、ジャクソン・ポロックやジャスパー・ジョーンズ、そしてドナルド・ジャッドまで行くと、もう、作品の前で足踏みするだけで、どうしようもなく作品に入っていけないのであった・・・

そうした場合には、やはり何らかのとっかかりや、言葉、いってみれば『見るコツ』というものが必要となってくる。私の場合、ムンクもそうした『見るコツ』を必要とする画家の一人であった・・・

今回、大規模なムンク展が東京都美術館で開かれるそうなので、この独和珈琲絵画館でもムンクを見るコツというものを紹介してみたい。

バルールとは

バルールという言葉がある。Valeurというフランス語で、日本語では色価と訳される。色というのは、細かく分けていけば理論上、無限にあるものなのだが、そうした無数にある色も、ひとたび画面に置かれれば、全体の中である位置を占めるようになる。そうした位置というものが画面の構成上的確に定められていけば、「バルールが合っている」ということになるし、逆に、いい加減に用いられるならば『バルールが狂っている』ということになる。

ムンクはバルールで見るべし

私の見るところ、この『バルール合わせ』に天賦の才を発揮しているのは岸田劉生である。彼の初期の肖像画群を見るがいい・・・荒い筆触であるにもかかわらず、絵の具が完全に『もの』になっているではないか・・・

対するに、ムンクの絵はバルールが狂っている。色が画面の中でものにくっついておらず、あたかもはがれかかって、しまいには自由に飛び回っているかのようだ・・・だから彼の絵は見ていて落ち着かず、気持ち悪い。

だが、だからこそ言いたい。ムンクはこのバルール外しをわざとやっている。独和珈琲絵画館の読者は、ムンクの絵を見る際、想像してみてほしい。果たして彼の扱っている世界は、バルールが合っていれば、どんな色なのだろうか・・・

そして次・・・ここが大事なのだが、現実の世界というのは、みなバルールが合っているものなのだろうか?私は断言するが、ひとがある程度生きて、ある程度いろいろな気分を経験し、世界を組み立てているならば、必ずバルールの狂った世界に遭遇しているはずだ。だから、ムンクはある程度、生活経験を積んだもの、いわゆる大人のための絵なのである。

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