あなたの知らない素敵な世界
あなたが今、目の前に見ている絵は、果たしてその絵のすべてであろうか・・・?変なことを聞くと思われる方も多いと思うが、じつはあなたにはこの絵の一部しか見えていないのだ・・・絵画空間はひとつの世界である。そして、ひとつの絵の中には無数の絵画空間があって、あなたにはそのごく一部しか見えていないのだ・・・今、あなたの見ている絵画の中には、まだまだあなたの知らない世界が存在するのだ。
このことを説明するために、再びボナール展の話をする。展示会場で偶然、知り合いの美術作家のBさんに会った。二人であの画がスゴイとかこの画が良かったという話をひとしきりした後、Bさんが
「ボナールって、ぼくらの頃は(70年代後半だけれども)絵をけなすひとつの形容詞だったんだよね」
と言った。どういうことかというと、ボナール風の柔らかな筆致で身近なものを色彩豊かに歌い上げる作品が当時は多く、その甘ったるさをこき下ろす表現として「ボナール風」という言い回しが使われていたとのことである。
「でもね、あれから40年以上がたつけれども、今見てみるとボナールとボナール風はぜんぜん違うよね」
Bさんは続ける・・・
「この年になって気づくことがあるよね。ほんとにこの年になっては遅いのかもしれないが・・・若い頃にはそのスゴサに気づかなかった画がけっこうありますね。それどころか、ボナール自体がやっぱりスゴクて良いってことに今頃気がつきましたよ・・・」
Bさんの言うことはすごく良くわかった。
ボナールは日本人には人気があるのか、わたしの見るところ、5~6年に一度はまとまって鑑賞できる機会があるようである。日本人の例に漏れず、ボナールが大好きなわたしは首都圏のものはほとんど見てきたつもりなのだが、20代の頃はベルギー王立美術館蔵「逆行の裸婦」を始めとするボナール30代~40代の一連の裸婦作品が好きであった。それが、自分でも少しは絵を描き、自分なりに世界と関わる経験を積み重ねることで、ボナールの好みも変わっていった。中年に差し掛かるにつれて、1920年代~30年代の室内画がスゴイと思うようになった。そして今・・・
最晩年、じつにボナール70代の風景画がじつはこんなに良かったと、いまさらながら気づいたのである。
独和珈琲絵画館の読者の皆さんには、ぜひ、ボナールの絵を、折に触れ、繰り返し見られることをお勧めする。そして、そのとき自分がどの絵を良いと思ったか、そのときの自分の心のありようと一緒に覚えておくのだ。そうすると・・・
いま、目の前に見ている一枚の絵の中に、無数の世界が開かれていくはずである。そして、そこにあなたの知らない世界が、まだあることに思い至れば、これほどの幸福はないであろう。
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