世界は美しい

世界は美しい

1995年9月のある週末。おりしも台風が接近しており、当時愛甲石田に住んでいた私は、アパートの一室で、通りの向こうにあるポールにロープが激しく打ちつけられるのを聞いていた。

突然、私は恐ろしいことを思い出した。前年の夏、人間ドックを受診したところ、胸部レントゲンで右鎖骨に重なるようにして豆粒大の影が発見された。当時、まだ若いといえた私は、自分が病に侵されていようとは露ほども思わず、精密検査はしないで済ませていたのだが、一度ではあったが、原因不明の微熱が2、3日続いたことがあったのだった。それきり、そのことは忘れてしまっていたが、1995年のそのときは、半年後に結婚が迫っていたのだった。

私の身体について、きちんと調べておく必要がある。だが、きちんと調べるのは随分と勇気が要ることなのだ。散々迷った挙句、次の週の水曜日、職場の近くにある公園にいき、公衆電話から厚木市の保健センターに電話をした。

「もしもし、保健所ですが…」

初老とおぼしき男性の声であった。

「もしもし、…・あの…」

ここで一段、声のトーンを落とすと、

「胸部X線の検査をお願いしたいんですが…」

初老とおぼしき男性は、電話口の向こうではっとした様子だったが、さすがに落ち着き払った声で、

「では、お名前をおっしゃってください。」

「では、……でお願いします。」

「では、来週の火曜日、一時半に窓口に来てください。検査だといってもらえばすぐ分かります。」

次の週の火曜日、私が窓口で検査だと伝えると、事務職員が、ああという感じで検査室へどうぞといって奥を指した。検査室で名前を告げると、初老の医師が座っていた。大きく後退した白髪の生え際に、ちょうどゴルバチョフにあるのと同じような染みが浮かんでいた。

「ご存知かもしれませんが、進行が進んでいても症状が出ないことがあります。心当たりのある時からどのくらいたっていますか?」

1年以上だと私が答えると、

「では取り敢えず撮ってしてみましょう。隣の部屋へどうぞ。」

隣の部屋には看護婦が控えており、にこやかに、では、取りますといった。40~50歳台の女性で、およそ病のイメージとは遠い気がして、私はほっとした。

だが、次の瞬間、その看護婦がゴム手袋をキュキュっとはめるのを見て、再び私は、奈落の底へ突き落とされた。やはり自分は危険な病気かも知れないのだ。

私には晩酌の習慣はなく、ましてやその頃は自宅で酒など飲まなかった。だが、検査の結果が出るまでの一週間、私は缶チューハイなしでは寝付かれなかった。夜、仕事から帰ると、現代書館から出ていた本を開き、癌の発症、その症状に関する件(くだり)をつぶさに読み、自分は大丈夫だろう、いや、大丈夫ではない、いや、大丈夫だろう・・・と繰り返し、疲れ果てた頃、缶チューハイを胃袋に流し込んで眠りにつくのだった。

E・キューブラー・ロスの「死ぬ瞬間」に出てくる「神との取り引き」も行った。私を無事生かしてくれるなら、あれもします、これもしますというやつである。週末になると、癌になってしまったときのことを真剣に検討し始めた。半年後に結婚式を控えて浮き浮きしている未来の妻、そして両親。それらの人たちの事を考えると、私は生きておれないなと思った。どうやって死ぬか?縊れたり、毒死したりすれば、私の死に様を見て両親はどれほど悲しむだろうか・・・死体が残ってはまずい・・・では青木が原樹海へでも行き、人知れず白骨となるか・・・

一週間後の火曜日。約束の午後三時に保健所へ向かった。入り口に二十歳前後とおぼしき茶髪の女の子が佇んでいた。受付を通って検査室へ向かうと、廊下で真っ青な顔をした、やはり二十歳前後とおぼしき茶髪の少年とすれちがった。表の女の子はこの少年を待っていたのだ・・・検査室へ入り、検査時にもらった紙を渡す。医師は例のゴルバチョフ氏である。カルテの束を何枚かめくって目的の箇所を探し当てた彼は、

「あー、今回は何も出ませんでした。癌ではありませんな。まあ、今後とも注意してください。」と言った。

身体に充溢していたものがスーッと抜け、圧力が急激に下がっていくのを感じた。

「ありがとうございます。」

深深と頭を下げると私は検査室を出た。

バイクで国道246を愛甲石田方面へ向かう。10月のはじめ・・・午後も3時を回り、日はやや傾いて強烈な光を辺り一面に浴びせていた。木々は鮮烈な緑に濡れて輝き、通りの家家は真っ白に燃えて輝いていた。「美しい。」私はため息をついた。これほど美しい景色を私はそれまで見たことがなかった。

世界は美しい。あの美しい景色を見るために,またあの検査を繰り返そうとは思わないが、私には、世界が美しい顔を持っていること、そのことは確実になった。世界にああいった美しい部分があるならば、生きている意味はあるのではないか?そして、世界を前に「失語症に陥った」とされる私たちにもまだ語ることはあるのではないか?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です