モネ―上手さを超えて

横浜美術館でモネの展覧会が開かれている。

モネについてはいろいろなことが言われているが、この独和珈琲絵画館では、モネの『運筆』について語ってみたいと思う。

 モネの作品の中でも1,2を争う有名な作品『印象・日の出』をあなたも一度くらいは目にしたことがあるであろう。日の出直後の薄明かりの中ですべての色彩が渾然となってわれわれを包み込む・・・陶然としながらもわたしたちはそこが海であること、その海に三艘の船がたゆたっているのに気づく・・・

 わたしが取り上げたいのはその三艘のうちの一番手前の船である。この船・・・どうも既視感がある。いったいどこで見たのであろう・・・

 何年も考えて、わたしはそれが静岡県は松蔭寺にある白隠の『金棒』という掛け軸であることに気づいた。白隠とは、江戸中期の人。臨済宗中興の祖であり、『駿河の国に過ぎたるもの、富士のお山に原の白隠』と言わしめたほどの偉いお坊さんなのである。

 そのお坊さんの描いた『金棒』がなぜモネの『印象・日の出』を思い起こさせるのか?

 答えはその筆の『てらいのなさ』にある。

 白隠は、先にも述べたように、学問を積んだ高僧であり、当時の高僧の常として、筆は達者だったはずなのである。それが、修行を積み、禅の境涯が進むにつれて、いわゆる「うまい」書から脱却していく・・・齢70を過ぎて描かれたこの『金棒』の線は言ってみれば寸胴であり、点や撥ね、はらいといった繊細な運動ができる『毛筆』でもって成された仕事とはとても思えない。そして、だからこそ何ともいえない存在感、確かな手触りといったものがそこに表されているのである。

 翻ってモネはどうであろう・・・モネが少年の頃に書いたカリカチュアをごらんになったことはあるだろうか。故郷ル・アーブルの名士を風刺したもので、少年モネが実に鋭い観察眼の持ち主であり、そして確かな手わざの持ち主であったことがそこから読み取れる。セザンヌと違って、おそらくモネはアカデミックな世界でも成功しえたであろう・・・だが・・・彼もあえて『うまさ』を超えていったのである。そう、緻密な描写では到底得ることのできない手触り、存在感を得るために・・・

 今回のモネ展では、ぜひモネの筆運びに注目して欲しい。それは、一見ぶっきらぼうに見えて、じつは非常に達者な、計算していないところで計算されているとでも言うようなものなのだ。

 ある意味、モネはヨーロッパ近代絵画における、最初の『ヘタウマ』なのかもしれない。

 

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