あっちかこっちか

あっちの側に立つか、こっちの側に立つか・・・人生においてそれは、じつに些細なことで決することがある。わたしの場合、それは、たった一発の平手打ちだった・・・

もう40年も前のこと・・・わたしは野球と漫画が好きな、当時も今もごくありふれた小学生だった・・・地元のクラブでソフトボールに励んでいたが、のちに甲子園球児となるY君をはじめ、ぬきんでた存在がすでにおり、わたしは2番手、3番手として目立たない存在であった。勉強にしたところで、5年生ともなると、S君のように、逆立ちしてもかなわない存在がぽつぽつと出始め、こちらでもわたしは完全に沈み込んだ存在となっていた。それが・・・

もうじき小学6年生になろうとする頃・・・新年度の児童会役員を決めるにあたって選挙が行われることになった。そこで立候補者を募るわけだが、立候補者がいないこともある。当然であろう。大人の国政選挙を見るがいい。放っておいても5人も6人も立候補者が出るのは、その仕事に相応のうまみがあるからなのであって、まったくうまみのない児童会の役員に誰がなりたいと思うか・・・それくらい小学生でもお見通しなのであった。

だが、これでは選挙にならないということで、各クラスから立候補者を一人ずつ立てることになった。その話し合いの場でのこと・・・

案の定、放っておいても立候補者は出ない・・・そこで、だれかを推薦することになった。その後の人生で嫌というほど経験することになる日本社会特有の「互選」というやつである。しばしの静寂の後、わたしの名前が挙げられてしまった。ほかに何人かの名前が挙げられた後、多数決で立候補者を決めることになる。

そして・・・僅差でわたしが立候補することになった。

「では、U君、お願いします」

司会者がまとめ、クラス一同、胸をなでおろすはずであった。ところが・・・

 

小学生の頭ではあったが私は考えた・・・やりたくない人間が「私にやらせてください」と運動するのはおかしいのではないか・・・そして、やりたくない人間にやらせるにあたって他のやりたくない人間が多数決をもって祭り上げるというのは陰湿なのではないか・・・

 

だが、多勢の意思に一人で逆らうこと、話し合いがすんでしまったこの段階で、ことを白紙に戻すのはためらわれた・・・ここで、私は自分の気持ちに蓋をして笑顔で「やります」ということもできるであろう・・・その場合は多くの人間が安堵し、私が胸の内で多少、不快な思いをすることになる・・・「いやです」といえば・・・多くの人間は困り、わたしにも何か困ったことが起こる・・・あちら側かこちら側か・・・

 

このとき何かが私の背を押した・・・?わたしはとっさに

「いやです」

と言った。

見ていた担任のO先生が私に尋ねた。

「みんなが選んでくれたのになにを言っているんだ?」

わたしはビビってしまう・・・

「やりたくないのに立候補するのはおかしいです」

「みんなで話し合って君が選ばれた・・・その話し合いに君も参加した・・・そして、それが終わってから君がそれをひっくり返すのはおかしいのではないか?」

それはその通り。ダメだ・・・理屈では負けだ。でも・・・

「でも、いやなものはいやなんです。」

途端に左の耳にビーンと衝撃音がしたかと思うと、ピリピリとした感触が頬を走り、やがてかっと熱くなった・・・O先生の右手が飛んできたのだ。

「ばかもの!それでもお前は人の端くれか!」

わたしの頬を涙が伝い落ちる・・・この時代、今と違ってビンタは当たり前で、悪いことをしたらどんどん先生の手が飛んできたものである。そして、そのビンタは、私が立候補を拒否したことが「悪いこと」だと宣告されたようなものであった。

 

・・・だが、不思議であった。私はそのビンタで心に決めたのであった・・・たとえ、どんな理屈をつけられようが、先生やクラスの大勢を敵に回そうが、嫌なものは嫌と言おうと・・・

 

次の日、また次の日と、学級会は開かれた・・・・私に再度の立候補の要請が来た。私はまたしても拒否した・・・そして・・・またしてもO先生の右手が飛んできた・・・そんなことが何度も繰り返された・・・それでも私は頑として立候補することは認めなかった。

 

それから数十年・・・不思議なことに似たような場面は繰り返し私の前に立ち現れる・・・自分の気持ちは胸に奥底に隠したまま、にっこりしてその場の空気を大事にするか、あるいは自分以外の全員を敵に回しても自分の気持ちを優先するのか・・・こちら側で安穏としているのか、あっち側でしんどい思いするのか・・・思えばこれが私の立ち位置―スタンスを定めた決定的な出来事なのであった。

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